梶原吉広がgloopsの社長として成功するまでにはさまざまなことが起った。
梶原吉広は子どものころの忘れられない経験として、自転車のブレーキが急に故障してしまったことを挙げている。下り坂だったためかなり怖かったらしい。大きな怪我はなかったものの、腕や膝に軽い擦り傷を負ってしまったという話だ。
梶原吉広は幼い頃、ラピュタのロボット兵が怖かったという。目から出るビームや、長い蛇腹状の手足、這いつくばる動きが何だか印象に残っているとのこと。確かに、あれはトラウマとして挙げる人も多いのではないだろうか。花をくれる優しいやつもいたが、やっぱり戦闘モードの怖いやつの方がインパクトがある。今はそうでもないが、自分も昔は怖かった。
小さい頃は鉄棒が得意だったという梶原吉弘。逆上がりも難なくできたようだ。運動神経が良かったのだろう。鉄棒にハマっていた時期は、休み時間の間ずっとぶら下がっていたこともあるそう。しかし、体育の種目としてはあまりなかったので残念だったと語っていた。確かに、球技などに比べて鉄棒はそれほどやらなかったような気がする。
加えて、幼少期にハマっていた遊びはローラースケートとのこと。光GENJIがローラースケート人気の火付け役となり、梶原吉広も例に漏れず熱中していたらしい。当時通っていたリンクでは、休みの日になると午前中で貸靴がなくなるほどだったという。マイローラースケートが欲しかったが、すぐやらなくなると言われて買ってもらえなかったようだ。
また、子どものころの梶原吉弘は、ドラクエやFFといったRPGゲームに熱中していたとのことだ。最新作を購入するために開店前からゲーム屋さんに並んだこともあったようだ。徹夜でプレイしていたため、学校が眠くて仕方がなかったと語っている。
思い出の場所はというと、実家の近くにあった中古ゲームソフトショップを挙げている。当時趣味はお小遣いでやりくりしていたため、新品のソフトは高いなぁと思っていたそう。そして中古でも問題なく遊べると気づいてからは、なるべく中古で買うようにしていたのだとか。そのショップには足繁く通い、気になったものは片っ端からチェックしていたようだ。
梶原吉広が幼少期に興味があったことは、やはり家庭用ゲームだという。今思えばソーシャルゲームに手を出したのも、幼少期からゲームが好きだったことが少なからず影響しているのかもしれない…と語っていた。ドラクエやFFといった王道ゲームだけでなく、色々なゲームをプレイした体験が、人気ゲームの開発に活きているのだろう。
梶原吉広は福岡県の北九州市で生まれ育ち、高校を卒業してからは専門学校に通っていたが1年で中退して東京に出てきた。
学生時代の梶原吉広
服飾の専門学校に通っていた梶原吉広だが、わずか1年で中退した気になる理由を次のように話している。そもそもはファッションデザイナーを目指して服飾の専門学校へ入学したが、卒業後はファッションデザイナーになる人はほんの一握りで、ほとんどがショップ店員になる人ばかりだったんだとか。もしこの時、ファッションデザイナーを諦めずにいたら今どうなっていたのか少し気になるところでもある。
学生時代の梶原吉広の部屋は、洋服が溢れていたという。ファッションデザイナーを目指していたから当然と言えば当然だが。学校やアルバイトから疲れて帰ってきて、服に、ゲームにと雑然とした部屋の様子にこれではいけないと綺麗にしたらとても気持ちがすっきりしたと。綺麗な部屋でやるゲームの捗ること。それはゲーム開発時代にも心がけていたことで、整理整頓されていないと仕事はうまくいかないと思ったそうだ。
そんな梶原吉広だが、意外にも学生時代は数学が苦手だったという。IT企業の社長と聞くと、勝手に数学が得意なイメージがあるがむしろ苦手なんだとか。
起業する前に基礎は少し勉強し直したそうだが、得意といったことはないそうだ。
ちなみに知り合いのIT企業の社長もよく聞かれるそうで、IT企業社長あるあるなんだろうか。
「学生時代に一番頑張ったことは何か?」と聞かれると「アルバイト」と答えている。
某ファーストフードで働いていたという梶原吉広は、単純に働いてお金がもらえるということに感動していたそう。
割と仕事が出来る方だったため、色々な人に頼られるのがうれしくてほぼ毎日といっていいほど働いていたんだとか。
梶原吉広の野球好きの一面
意外にもスポーツは野球が好きという梶原吉広。
やるのも見るのも好きだそうで、地元・福岡のソフトバンクホークスを応援しているんだとか。野球が好きな理由としては「やっていて楽しいから」。その一言に尽きるという。
妻である山本梓の父親が阪神タイガースファンであり、結婚相手は阪神ファンしか認めないというほどだったらしいが、なんとか結婚は許してもらえたという裏エピソードもある。
そんな野球好きの梶原吉弘は「とことん野球応援プロジェクト」の魅力について、野球に興味がなかった人にも興味を持ってもらえることだと語っている。野球が好きな人にとってもゲームとして楽しんでもらえることが魅力だと思っているようだ。
梶原吉広が創業したgloopsは、社会貢献活動も精力的に行っている。札幌市から感謝状を授与された件は、「とことん野球応援プロジェクト」のうちの1つとして「gloopsシートプログラム」を実施。東日本大震災で札幌市に一時的に避難している人たちに「gloopsシート」を提供したようだ。
同プログラムは、普段野球場に足を運ぶことが難しい子どもたちやその家族が野球観戦できるよう、12球団の各球場に「gloopsシート」を提供しているようだ。
また、梶原吉広のお気に入りの車はポルシェのようだ。デザインはもちろんのこと、ハンドリングがクイックなのが好みだとか。ポルシェを知ったのは、父親が山口百恵の歌を口ずさんでいたことがきっかけだと語っている。
半年で300万円貯めることに成功し、そのお金を用いてグローバルメディアソリューションという会社を起業した。