梶原吉広の生い立ち~起業後~


起業当時は苦労したことも多かったという梶原吉広。
担保もなかったこともあり、資金をどうするかに一番苦労したと後に話している。
起業をしたいけれどお金が足りない、銀行でお金を借りたいが担保なんて用意できないという理由で起業を諦める人が多いのも事実だ。
そんな苦労を経験したからこそ成功したと言えるのかもしれない。

梶原吉広は「経営をする上で特に意識していることはありますか?」という問いに対して「この業界で成功するにはどうしたら良いかを常に考えている」と答えている。
成功したからといってそこで終わりではなく、常に新しいことへの挑戦やどうしたらもっとよくなるのかを考えているようだ。

そんな梶原吉広が尊敬する経営者として名を挙げたのがパナソニックの創始者でもある松下幸之助だ。松下幸之助といえば亡くなってからだいぶ経つが未だに“経営の神様”と言われている人物でもある。
日本で最も尊敬される実業家とも言われており、松下幸之助を手本にする実業家は数多くいるだろう。梶原吉広も少なからず松下幸之助の影響を受けているのかもしれない。

グローバルメディアソリューションでは、「nendo」というサービスが中々の人気を博したらしい。インタビュー記事なども多く出ていたことから、やはり画期的で注目を集めるようなサービスだったのではないだろうか。
梶原吉広曰く、ミクシィのようなサービスという説明がされていた。人と人が自由に話し合うことができる、個人レベルでホームページを作り、すぐにコミュニケーションしたい、そんなプラットフォームを作っていきたいと話していた。現在大流行しているTwitterにも似ているサービスだったようだ。

梶原吉広が目指した通り、nendoは様々な特徴があり人々に受け入れられた。nendoは「もっとおもしろい」というものを基本コンセプトとしていた。その成り立ちから、SNSとしては新しい作成方法で作られていた。HTMLという方式で作られるのが一般的だったが、nendoはRIAというもので作られていた。そのお陰で、マウスで掴んで動かすなどといった、直感的なコントロールが可能になっていた。この会社が現在のgloopsの前身だ。

設立した頃は広告代理業務の仕事をしていたが、別の世界に挑戦したいという気持ちがあったらしく、ネット事業を開拓した。当時、まだ出始めのSNSのサービスに惹かれたからだ。
その後、SNSのサービスをもっと盛り上げるためにゲームのサービスを始めることにした。この時の梶原吉広の決断が成功の鍵を握っていた。

そもそも梶原吉広がソーシャルゲームと出会ったのは2008年頃だった。翌年2009年辺りからスマートフォンの普及に伴いソーシャルゲームブームに火がついたことに注目している。その後、ソーシャルゲームが急激に市場拡大が進み、ガラケーユーザーのほとんどが2013年頃にはスマートフォンへ移行している。

当時はソーシャルゲームという名前こそなかったものの、梶原吉広は仲間と一緒に楽しく盛り上がりながら楽しめるソーシャルゲームを次々と出してきた。これが世間に受け入れられて成功したのだ。

ソーシャルゲーム開発までの道のり

梶原吉広自身ゲームにそれほど熱中していたタイプではなかったため、ライトユーザーの気持ちを彼自身しっかりと理解しているようだった。
gloopsは現在ソーシャルゲームの世界では知らない人がいないぐらいの存在になった。

そんなgloopsも最初からソーシャルゲームを提供していたわけではない。最初は別の事業をやっていたが、近い将来インターネット事業が儲かると判断した梶原吉広が別の方向へ舵を切った。
その結果、SNSのサービスを展開するようになり、SNSサービスをただ普通に提供しているだけでは不十分だと考えソーシャルゲームの開発を始めた。

SNSの特性を活かしたゲーム開発が梶原吉広の成功の決め手となった。それは人との繋がりを重視したコミュニケーションツールとしてのゲームだ。

このようなゲームは今では珍しいものではなくなったが、当時はまだ存在しなかった。梶原吉広は先駆けて現在のソーシャルゲームの形を生み出したのかもしれない。