魅力のあるソーシャルゲームとは?

本サイトはソーシャルゲーム界を盛り上げているgloopsについて記事を書いている。
そのgloopsを創立した梶原吉広に注目して今回もいろいろ書こうと思う。

ソーシャルゲームの本来の魅力とは

親子
いきなりだが、魅力があって面白いソーシャルゲームは一体どんなゲームだろうか。

僕が思うに、ソーシャルゲームはここ最近出てきたものな気がする。なぜソーシャルゲームに魅力を感じるのか、それはいつも持ち歩く携帯電話でゲームができて、世界中の人とコミュニケーションが取れるからだと思っている。持ち歩くコミュニケーションツール、ゲームという感覚だ。

現在、コミュニケーション力というものが取り上げられることは多い。就職活動の場でも、学生たちの学業の場でも、「コミュニケーション力」や「人間力」という言葉が大切だとされている。
人と人とが意思疎通をし、一緒に体験をしていく。言葉でいうのは単純だがそれは難しい。特に初めて会った人とのコミュニケーションは互いに何も共有していないため、大変だとも言われている。

ソーシャルゲームのすごいところはそうした共通の経験を「コミュニケーションを取るツール」でもある「ゲーム」が、果たしてくれるところだ。楽しく、コミュニケーションを取れる、これがソーシャルゲームの強みの1つじゃないだろうか。

このサイトで主に紹介している梶原吉広は、率先してソーシャルゲーム会社を立ち上げ社長を務めてきた人物だ。現在は社長業をやめているが、彼自身が成し遂げてきたことはとても大きいと僕自身も感じている。
代表を務めたgloopsという企業だが、今でも存在感を放っていて数多くのヒット作を生んだ会社として有名である。

梶原吉広が立ち上げた会社は、ソーシャルゲームを手掛ける前に、紙媒体の広告を扱う広告代理店として事業を展開していた。そして、当時ちょうどmixiなどのSNSが流行りだしたのを見て「これだ」と思ったのがゲーム事業を手掛けるきっかけだったとか。ソーシャル・ネットワークを駆使したゲーム。これは当たるに違いないといったのが第一印象だったそう。

梶原吉広はソーシャルゲーム業界のヒットメーカーとして名が知られている。渋谷クエストをはじめとしてギルドバトルやプロ野球カードといった作品を提供して多くのユーザーを熱狂させてきたのだ。

渋谷クエストが多くの人を熱狂の渦に巻き込んでいたのは記憶に新しい。渋谷クエストが運営されていた頃、gloopsは類型会員数1千万人を突破した。それを祝うためのお祭り「gloops FESTIVAL」があったことをご存知の方はいるだろうか?渋谷クエストにログインすると「コイン」というアイテムがもらえた。そして、そのコインを使ってゲームを遊ぶとコインが増える仕組みだ。そのコインをたくさん集めた人に、本来お金のかかるアバター・アイテムなどの配布を行ったのだ。

このようにプレイヤーとも喜びを分かち合える姿勢もが一体感をさらに生んだのかもしれない。

ちなみにこの渋谷クエストの開発秘話として、当時福岡から上京してきた梶原吉広は、このゲームを開発するまで実はあまり渋谷という土地を知らなかったそう。ゲームタイトルにもあるように「渋谷」を舞台にしたゲームのため、開発者が渋谷を知らなかったというのは今だから許される話なのかもしれない。そんな開発者によって手掛けられたゲームが後にヒットするとは、もしかすると開発者自身が思っていなかったのでは?

梶原吉広は上京のきっかけとして、もともと会社を立ち上げることに興味があり、せっかくなら大都会・東京で成功したいという想いが強かったからだと語っている。当時通っていた服飾の専門学校を中退したあとに上京しており、その後起業して見事成功しているのには感心するばかり。何かをやめる、諦めることにも勇気がいると思うが、その決断は間違っていなかったということだ。

余談だが上京時に印象に残っていることとして、梶原吉広は東京の醤油が甘くなくてビックリしたと話している。九州の醤油は東京でいう刺身醤油と同じくらい甘いんだとか。上京して初めて市販の醤油を口にしたときはとても衝撃を受けたそう。
東京の醤油が口に合わず、しばらくは通販でまとめ買いするか、地元の人から送ってもらったりしていたらしい。

梶原吉広は上京して辛かった思い出に満員電車を挙げている。専門時代には電車通学していたためそれなりの混み具合には慣れていたつもりだったが、東京の電車は比べ物にならなかったらしい。加えて、福岡時代は通学以外の移動手段は車がメインだったそう。上京してからは資金調達で車を購入している場合ではなかったため、どこへ行くにも電車移動で辛かったと語っている。

また「大乱闘!!ギルドバトル」も梶原吉広のgloopsが手掛けてきた、有名ゲームの1つだ。
現在のソーシャルゲームではスタンダードになりつつある「基本プレイ無料」に加えて、「アイテムのみの有料課金制」を採用している。こちらはDocomoのFOMAなど、いわゆるガラケー機から、iPhoneやAndroidなどのスマートフォンにも対応している。

ガラケー全盛期から続く人気ゲームだけあり、どちらへも対応してくれているのが嬉しい。まだガラケーしか持っておらず、スマートフォンのみ対応のゲームができない、という人ともコミュニケーションが取れる。

梶原吉広が創業したgloopsでは様々なアプリゲームを提供しているが、そのうちの一つ「スカイロック」についても話したいと思う。

スカイロックは3人の神によって均衡が保たれていた世界が舞台。とあることをきっかけに均衡が崩れ、一人の神が大地に槍を放った。人々はその魔槍をスカイロックと呼び、スカイロックの東にある村に住む少年から物語がスタートするそう。ゲームでは700体以上の魔者が存在し、ダンジョンを探索していくという。魔者を集めて育てて強くなっていくという王道RPGのようだ。
現在MobageとGREEで配信されているので、興味のある人はプレイをおすすめする。

残念ながら梶原吉広はその後、会社を売却したためソーシャルゲーム業界からは離れてはいる。けれど、社長として行ってきたことの価値は今でも薄れていないはずだ。その後、グラビアアイドルとして有名な山本梓さんとの結婚。シンガポールでの新生活を始めたらしい。
結婚式
山本梓さんと梶原吉広の結婚は衝撃的だった。
国産ソーシャルゲーム開発者として先鋭的な取り組みを行ってきた梶原吉広と、アイドルとして活躍していた山本梓さんというインパクトのある組み合わせだったからだろう。都内の教会を貸りて、バルーンや花々を使ったサプライズを行い、プロポーズ。山本梓さんはそれに感動してプロポーズを受けたということがあったらしい。

今では夜寝る前に山本梓さんから子供の1日の様子を聞くときに幸せを感じるという梶原吉広。自身は仕事のため付きっきりで子供の世話ができないため、山本梓さんから今日はこういうことがあった、こういうことが出来るようになったと聞くたびに子供の成長を感じることができるという。
またゆっくりと会話ができる家族との時間に幸せを感じるそうだ。

結婚する前はひとりで行動できるタイプだったと語っている梶原吉広。独身のとき、ひとりで焼き肉を食べに行ったこともあったという。しかし、いまは嫁である山本梓とお子さんがいるためどこかへ出かけるときは三人で行っているようだ。

ひとり焼き肉をした時は少し恥ずかしかったと語っているが、当時はひとり焼き肉のお店もなかった時代だろうから、肝が据わっている。目標に向けて突き進む…といっては大げさかもしれないが、そんな度胸を持ち合わせている梶原吉広だからこそ、gloopsの経営及びヒットゲームの開発に成功したのかもしれない。自分ももっと普段から堂々と行動しようと思った。

また、「明日世界が滅亡するとしたら何をするか?」と聞かれた際にも、仕事のことは何も考えずに家族と一緒に過ごしたいと答えている梶原吉広。家族思いの一面が見て取れる。日々仕事に追われて生活しているため、なかなか100%家族のことを考える時間がないんだとか。人生最後の日くらいは、仕事のことをすべて忘れて思う存分に家族サービスしたいという。

gloopsは元々広告代理店だった

梶原吉広がgloopsの代表を務めている間、多くのゲームを生み出してきた。しかし、調べてみるとgloopsはもともとインターネット事業をしていた企業ではなかった。

最初は広告代理店としてサービスを提供していたものの、次第にネット事業に参入するようになって最終的にソーシャルゲームへ手を広げることになった。その過程の中でいろいろなゲームの開発に梶原吉広は取り組んできた。”どんなゲームだったら、ユーザーが魅力を感じるのか”を重視してきたはずだ。

梶原吉広はデータを見ることによってユーザーの心を知ることができると考えた。直接会社に問い合わせをしてくるようなユーザーというのはほんの一握りしかいない。その意見を重視するよりも、データを見てユーザーがどのような気持ちでいるのかを考えることが重要だと梶原吉広は思った。データを重視した戦略をどんどん実行していった結果として、梶原吉広の会社が出すゲームは次々とヒットしていった。

自信作を世に送り出す

自信に満ち溢れる人
梶原吉広は実際に自分でもゲームをやってみて楽しめるかどうかを確かめていたらしい。そうすることで本当に自信のあるゲームだけを僕らに提供することができたのかもしれない。

ユーザーの視点を大事にしなければ、ここまでヒットするゲームを生み出すことはできないはずだ。これまでずっとゲームを愛してきたゲームマニアと呼ばれる人達だけではなくて、これまでゲームをやったことがない人にも愛されるものを作ろうとした。そういう考えでなければ、ヒットするソーシャルゲームは生み出せないと考えたのだ。そしてこの考えによって成功することができた。